------------------------ Correctruth for herself ------------------------ …どうして、皆私を避けるのです? 「避けてはいない。 皆、貴女を嫌ってはいないから」 私は、こんなに皆の為を思っているのに。 「押し付けは、親切とは違う」 でも、物事は総て正しくなくては――― 「答えは一つじゃない。 それだけが正しいものとは限らない」 …なら、 本当の正しさの基準とは、何なのですか? 「それは―――」 「……………」 けたたましく鳴り続ける電子音の中で、蒼葉梢は目を覚ました。 起き上がってアラームを止め、寝坊け眼を擦りながら、 淡い陽の光が差し込むカーテンの隙間をぼんやりと見詰める。 ―――さっきまで、何か不思議な夢を見ていたような気がする。 誰かと話をしている、夢。 誰だったかは思い出せない。 ただ何処か、凄く懐かしい感じのする―――そんな女の子だった事は覚えている。 朝御飯の時に、珠実ちゃんに話してみよう。 そう思いながら、両手でカーテンを開いた。 開いて―――目を丸くした。 雪。 窓の外、一面が白い雪に覆われていた。 「わあ…」 彼女は暫し、冬という季節が与えてくれた一時の自然の恩恵に、目を奪われていた。 パジャマのまま部屋を出て、中庭の見える方へ歩いていく。 雪は予想以上に積もっていて、庭の木々も珠実が彼女にプレゼントした圧巻ベアーも、 元の色が判らなくなる程に、すっかり真っ白に覆われていた。 「……あれ?」 梢はふと足を止めた。 圧巻ベアーの右隣、積もった雪の中から何かが頭を覗かせている。 割と遠くにあるのでよく見えないが、木か何かで出来たモノらしい。 「何だろう…?」 先に答えを言ってしまえば「製作途中の沙夜子の新作彫刻」なのだが、 これから起こる事を考えれば、それは最早関係の無い事であろう。 ともかくも、彼女はその「正体」を確かめるべく、縁下にあったサンダルを履いて、 歩き―――出そうとした、その瞬間だった。 「え?」 気が付くと、空を仰いでいた。 勿論、自分では顔を上げたつもりは無い。 足を滑らせたのだと彼女が理解した―――いや、彼女の事であるからそれすら理解していなかったのかも知れないが―――その時には既に、 彼女の身体は見事なムーンサルトを決めていたのであった。 …当然のように、 「着地」には失敗したのであるが。 それから暫く―――と言っても数十秒程だが―――して、彼女は目を醒ました。 「…う……ん…?」 ―――此処は…中庭? 何故、私はこんな所に…? 記憶を反芻してみるが、何も思い出せない。 過去が駄目なら現在。情報理解の基本だ。 先ずは状況の把握が最優先。 ―――取り敢えず今理解っている事は、 何故か中庭で、それも雪の上で眠っていたらしい事、 何処かで転んだのか後頭部と背中が痛む事、 後は……… 「…なっ、何ですかこの恰好はッ!?」 何気無く目線を下に向けた彼女は、自分のパジャマ姿を見るなり、 爽快な程にトーンの外れた叫び声を上げた。 「わ、私とした事が、今までこんな恥ずかしい恰好をッ…! あぁっ!不覚!一生の不覚ですっ!」 朝早くとは言え、これだけの大声で誰も起き出して来ないのが不思議である。 「はっ、早く着替えなければ…! 早急に正しい服飾にっ…着替えないと…!」 声のボリューム的に独り言になっていない独り言を言いながら、 自分の「衣装部屋」に向かおうと立ち上がり―――かけて、彼女はピタリと動きを止めた。 「…その前に、アレが必要ですね。 何は無くとも、先ずはアレが無くては調子が出ませんし…♪」 彼女―――緑川千百合はその「人格」特有の薄笑いを浮かべると、踵を返して歩き出したのであった。 「…んん……んにゃ?」 何故か全開になっているカーテンの間から燦々と照り付ける日光と、 氷点下に近い外気と殆ど変わらない寒さの所為か。 「寝る前に一杯」という、本来なら真っ昼間まで爆睡一直線コースな条件を満たしているにも関わらず、 桃乃恵は、早朝だというのに目を覚ましてしまった。 人間がこういう状況になった時、 先ず真っ先にする事は、時間の確認である。 「うぅ…寒…」 手探りで携帯を捜す。 返答が無いとは理解っていながらも、何となく言葉が出てしまう。 「ん〜…今何時〜?」 「6時17分…40秒を回った所です」 「6時ぃ〜? まだ全然早いじゃないのよ〜…頭痛いんだからもう少し寝かせて―――って、え?」 今の過程の中に本来有り得ない会話があった事に、恵は漸く気付く。 今の声。 今の口調。 ―――まさか… ギギギ…とロボットのように首を動かす。 淡い期待も果敢無く、振り向いた先に居たのは勿論――― 「お早うございます♪」 「ぎにゃぁぁぁ--------!!」 ズザザザッ、とアメリカザリガニもびっくりの後退り。 「何ですか、ヒトを化物か何かみたいに」 一方の千百合は、さも其処に居るのが当然だという様子で眼鏡を上げる。 「ちっ、ちち千百合ちゃんっ!?なな何でココに居るのよ!?」 「何でって、いつものように眼鏡を拝借しに来ただけですよ」 「いつものようにって……それにどーやって侵入って来たの? 鍵、掛かってたでしょ?」 「ええ。こんな事もあろうかと、少しばかり手に職を」 そう言って彼女は、何やら物騒な形をした金属の束を取り出す。 「…アンタねぇ」 ピッキングを「手に職」と言い切る千百合に、恵はただ呆れるしかない。 「―――それはそうと…桃乃さん、アナタ何て恰好をしてるんです? その服飾は全くもって正しくありません」 「…う」 来た。 唐突に本題が来た。 どうしよう…何とかして誤魔化せ―――ないだろうなぁ…目、マジだし。 「モノはついでです。―――さあ、これを」 そう言って千百合が差し出した―――もとい、突き付けた―――のは、 どう見ても無駄にフリルが多い、それも真っ赤な色をしたメイド服。 千百合ちゃん…何でこんな時に限ってそんなヘヴィな衣装を…? 三面が壁。 正面に千百合。 逃げ場は当然のように無い。 四面楚歌…絶体絶命…いや、万事休す? 「さあ、これでアナタも真理への第一歩を!」 ずい、と詰め寄って来る千百合。 「か、勘弁してぇ…」 ああ…もう駄目だ―――恵が半ば覚悟を決めかけた、その時。 「あら?お気に召しませんか?」 ―――へ? あまりに見当外れな千百合の台詞に、恵は耳を疑った。 「残念ですねぇ…コレこそ正しい服飾だと思ったのですが…」 ―――た…助かった?のはいいけど… 恵は口を開けて惚ける事しか出来ない。 安堵の情より、怪訝の念が勝っている。 「仕方ありませんね。コレは他の皆さんに勧める事にしましょう」 …可笑しい。 どう考えても可笑しい。 普段なら、無理矢理服を脱がせてでも着せ替えようとするのに――― 「それでは、私は失礼します―――」 「待って」 ドアに手を伸ばしかけた千百合の背中を、恵の声が呼び止めた。 「…何です?」 「いや…その、さ。何か…あった?」 何故か言いにくそうに話す恵を見ると、 千百合はふっと微笑んで、ドアの方に視線を戻した。 「夢を…見たんですよ」 「夢…?」 と訊き返す恵に、千百合は溜息を吐き、視線を上に向けて答える。 「…私にそっくりの女の子が、私に話し掛けて来るんです。 ―――皆に迷惑掛けたら駄目ですよ、って」 「そっくりの…って」 梢ちゃんじゃ―――という言葉が口から出かけて、慌ててそれを飲み込む。 「当然、私は反論しました。 私は皆の為を思ってやっているのですよ―――そう言ったんです。 そうすると、その子は―――本当に、一切の躊躇いも言葉の迷いも無く、即答しました。 『親切は、押し付けとは違います。 例えそれが本当は正しい事であっても、 無理矢理押し付けてしまえば、それは真に"正しい"事ではなくなってしまう。 正しさに"絶対"なんて有り得ないし、答えは一つとは限らない。 私も、あなたも―――皆がそれぞれ、自分だけの"正しさ"を持っています。 だから―――少しでいいですから、他の人の"正しさ"も見てあげて下さいね』 ―――今でもこうして、一字一句を正確に思い出せるんです。 …可笑しな話ですよね。 唯の、夢の話だというのに」 「…………」 正直、信じられない。 千百合にそっくりの女の子とは、十中八九主人格である梢の事だろう。 ただ、夢の中とは言え―――あの梢が、そんな事を、しかも流暢に話す―――そんな光景を、恵はどうにも想像出来なかった。 「あまりにきっぱりと言い切るものですから―――私はその話を"夢のお告げ"だと思って信じてみる事にしました。 そうすれば、また―――あの子と、"お話"が出来るかも知れませんしね」 千百合は、愉しそうに―――或いは懐かしそうに―――そう言うと、部屋のドアを押し開け、 「………」 廊下へ足を踏み出しかけて、思い出したように振り返った。 「…その服」 「え?」 「……改めて見てみると、アナタのそのラフな服飾も悪くありませんね。 それがアナタ自身の正しさ―――という事でしょうか」 「…千百合ちゃん……」 「ふふっ…別の答えというのも、案外悪くないものです。 コレもまた一興―――Correctっ!ですね」 千百合は再三の微笑を浮かべると、ドアを閉め、足早に廊下を歩いて行った。 「……………」 終始まともな言葉が出なかった恵は、千百合が立ち去っても 尚ポカンと口を開けて座り込んでいた。 千百合。 梢。 深層意識の繋がり。 記憶の部分的共有。 …人格同士の、会話――― 恵は浅く溜息をついた。 「…ま、取り敢えず」 立ち上がり、カーテンを開ける。 積雪からの反射光もあってか、朝だというのに日差しが強く感じた。 「今回ばかりは、二人に感謝だわね―――」 外には雪。 この陽射しでは、積もった雪が溶けるのもそう先の話ではないだろう。 「春の訪れ」は、案外すぐ近くに来ているのかも知れない―――