-------- 一歩前へ -------- 晴れの日だろうと雨の日だろうと、住人はにぎやかすぎるほどにぎやかな鳴滝荘。 心地よい朝の空気の中、登校前にいつもの玄関先の掃除をする梢。 鼻歌交じりにどこからか落ちてくる枯葉を集めていると。 「それじゃ、いってきまーす!」 「行って来ます」 鳴滝荘の早出組、隆士と朝美の声が聞こえてくる。 梢が振り向くと同時に玄関が開き、声の主が姿を見せた。 「あ、梢お姉ちゃん、いってきまーす」 「行ってくるね、梢ちゃん」 「はい、いってらっしゃいー」 にこやかに手を振って見送る梢。と、ふと思い出したように。 「白鳥さん、今日は何時くらいにお帰りになるんですか?」 「今日はそんなに時間のかかる作業はないし、夕飯までには帰れると思うんだけど・・・」 ここ数日、隆士は学校の画材を借りて絵を仕上げていたため、帰りが遅かったのだが。 「遅くなるようだったら電話するよ」 「はい、わかりました」 「ごめんね、最近買物付き合えなくって・・・」 「そんな、いいですよ。白鳥さん、頑張ってらっしゃるんですから」 「ありがとう、梢ちゃん」 気が付けば二人の世界、な割とできたてな恋人同士。 「お兄ちゃんー」 「あ」 朝美の呼び声に隆士は我に返ると、 「それじゃ、行って来ます」 「はい、行ってらっしゃい」 隆士と朝美の姿が塀に阻まれて見えなくなるまで見送ると、梢はさっきよりも機嫌良く鼻歌を再開する。 と。 「・・・何かさー」 「あ、桃乃さん、おはようございます」 「んー、おはよ」 恵が頬杖をつきながら、玄関に座っている。 「恋人同士ってより、夫婦って感じのやりとりだわね、梢ちゃん」 「・・・・・・え?」 しばらくの間を置いて出た言葉と同時に、軽快に動いていたほうきが固まる。 「あなたー、今日は何時ごろお帰りにー? って感じ?」 「あ、いえ、そんなつもりじゃ・・・」 赤面して俯く梢を見て、恵はにんまりと笑う。 「そーよねー。確かに夫婦と言うにはちと他人行儀だわねー」 「・・・はい?」 きょとんとした表情で、梢は恵の顔を見る。 もしもこの場に珠実か隆士のどちらかがいたなら、その顔が「何か企んでいる」顔だと察知できただろうが。 あいにく、珠実曰く「良くも悪くも温い」梢には察知できるはずもなく。 「白鳥君には結構借りもあるし、ちょっとくらい後押ししてやってもいいかなー」 「・・・???」 「桃さん〜、梢ちゃんに何を吹き込んだですか〜?」 その日、学校から帰ってきていきなり、珠実は恵に詰め寄った。 「うぉ、ナニヨ珠ちゃん!?」 「とぼけるんじゃないです〜。今日の梢ちゃん、ず〜っと上の空だったですよ〜?」 「あ〜・・・」 あさっての方向に視線をやって、恵は頬を掻く。 「いやほら、あれよあれ」 「も〜も〜さ〜ん〜? 白状しないと・・・」 意味不明な指示語で誤魔化そうとした恵の眼前に、珠実は伝家の宝刀を突きつける。 「みぎゃ!?」 奇声を上げつつ慌ててそれに手を伸ばすが、こういう場面で珠実を捉えられるはずもなく。 「ふ〜ふ〜ふ〜、これをばら撒かれたくなかったら白状するです〜?」 「あうあうあうあう」 涙目で珠実の手の内にある写真に手を伸ばす恵。と。 「・・・何やってんだ? お前ら?」 「あ〜、灰原さん〜?」 「ばらざ〜〜〜ん」 「・・・こっちもこっちで取り込み中みたいダナ」 灰原の(自称)本体のジョニーがそう言いながら視線(?)を別の方向に向ける。 その先には隆士の部屋こと二号室があり、そのドアの前には。 「・・・・・・梢ちゃん、何やってるですか?」 「白鳥君、まだ帰って来てないわよね?」 「さっきからずっとあそこで何か言おうとしてるんだけどよ」 三人そろって梢の様子を伺ってみる。 その彼女は、深呼吸して決心したように口を開こうとして、しばらく硬直し、うなだれて、また深呼吸と意味不明な行為を繰り返している。 「・・・も〜も〜さ〜ん〜、ほんとに何を吹き込んだですか〜・・・!?」 「ひっ!? い、いや、特にたいしたこと言った覚えは・・・」 「り・・・」 「ぉ?」 突然紛れ込んだ四人目の言葉に、灰原は周囲を見回す。 「・・・沙夜子か?」 「り・・・って言って止まってるわ・・・」 「・・・まーたそんなとこ潜り込んで・・・」 縁の下を覗き込んで、恵がため息をつく。 「り?」 「・・・り?」 珠実と灰原は揃って首を傾げたが。 「なるほどね・・・。がんばれ、梢ちゃん」 「うーん・・・、意外と時間かかるなぁ」 なかなか進まない作業に困った顔をして、隆士は頭を掻いた。 「これは・・・、また夕食一人になるかな・・・」 それだけじゃなく、梢とも余り話ができていない。 「・・・仕方ない、と言えば仕方ないんだけど・・・」 一度恋人のことを考え出すとどうにも作業に意識が戻らず、隆士は天井を仰いだ。 「・・・電話、入れようか」 遅くなる、と言えばきっと落胆した声が返ってくるだろうけど。 心配かけるよりは何倍もマシなのは確かだ。 スクールの昇降口に設置されている公衆電話を思い出しながら、教室を後にする。 「はー・・・、最近あんまり梢ちゃんと話して無い気がするなぁ・・・」 ぼやきながら、財布から十円玉を取り出す。 が、取り出した十円玉をまじまじと見つめたあと、何故か財布に戻して。 再び取り出したのは、百円玉。公衆電話に投入。 (十円より百円のほうが長く話せるしね・・・) かなり恥ずかしいことを考えていることにも気付かず、ダイヤルをまわす。 少々の呼び出し音の後、いつもの声が聞こえてきた。 『はい、鳴滝荘』 「あ、梢ちゃん? 白鳥です」 『あ、・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』 「・・・? 梢ちゃん?」 『あ、はい、な、なんでしょう?』 珍しい。 非情に珍しく、あのマイペースな梢が電話口でまで慌てている。 「・・・何か、あった?」 『い、いえ、何もないですよ?』 ものすごく声が上ずっている。誰が聞いても嘘をついているとしか思えない口調。 「・・・ほんとに?」 『ほ、ほんとになんでもないですっ。そ、それよりその、し・・・』 「し?」 『あ〜〜〜〜・・・う〜〜〜〜・・・』 慌てていると言うより、うろたえているような梢の様子を察して、隆士の表情が真剣なものに変わる。 「・・・梢ちゃん」 『は、はい!』 「やっぱり、今から帰る」 『え、ええ!?』 「すぐ戻るからっ」 そこからは神速。受話器を置いて教室に戻り(10秒)、作業中のものを全て片付け(30秒)、 鞄を引っつかんで再び教室を飛び出し(35秒)、ア ートスクールの昇降口を駆け抜ける(40秒) もしもこの時の隆士を陸上関係者が見ていたら、明らかに自信をなくしそうな速さであった。 同時刻。 「・・・ど、どうしよう、まだ一回も練習できてないのに・・・」 『あの』梢が受話器を手に固まってしまっている。 「梢ちゃん、ほんとにどうしたですか〜?」 「珠実ちゃん・・・、どうしよう〜?」 「こ、梢ちゃん〜?」 涙目になってしまっている梢に、珠実は一瞬うろたえ、そして・・・。 「・・・し、白鳥さんですね、梢ちゃんを泣かせたのは白鳥さんですね〜!?」 「・・・え?」 「白鳥さん・・・、あれほど言ったのに・・・、地獄も生ぬるい煉獄に叩き落としてくれるです〜〜〜〜!!!!」 燃えている。珠実の背中で真っ白な炎が燃えている。 「あー・・・少し落ち着いたらどーだ?」 「灰原さんには関係ないです〜!!」 言いながら、珠実が音速で鳴滝荘を飛び出していった。 「・・・ありゃ、やばいな」 「やばいわねー」 他人事な灰原と恵に対して、きょとんとした顔で残されてしまった梢。 「まー、あれだ。梢よ」 「はい?」 「無理に今日やる必要は無いんじゃネーカ?」 ジョニーだけが梢の方を向いて、身振り交じりに言う。 「え?」 「バラさん、気付いたの?」 「何となくナ」 腕組みをして、頷くジョニー。 「無理にやろうとしてギクシャクするのも馬鹿馬鹿しいゼ。こーいうのはタイミングってのもあるもんだー」 「むう、そういうもんなの?」 納得いかなさそうな顔で言う恵の目の前にジョニーが動き、ぷい、っと顔を背ける。 「一人しか経験無いお前ニャわからんだろーがナ」 「ぬぁ!? な、何で知ってるのよバラさん!?」 「さて、釣りの続きでもするか」 「ちょ、バラさーん!?」 中庭に下りていく灰原に手だけ伸ばした格好で、恵が叫ぶ。その後ろ。 「・・・タイミング」 梢はその言葉を何となく反芻していた。 「ただいま〜・・・」 「あ、お帰りなさい、朝美ちゃん。・・・どうしたの?」 何故か埃まみれになっている朝美。 「珠実お姉ちゃんに轢かれちゃった〜・・・、あはは」 「・・・・・・朝美ちゃん」 恵は思う。本当にこの娘には何か憑いているのではなかろうか、と。 「お帰り・・・、朝美」 「あ、ただいま、お母さん」 主にこの人が。 それから数十分後。 「ただいまっ!!」 いわゆる「本気(マジ)モード」の隆士が派手な音を立てて鳴滝荘の玄関を開ける。 「あ、お帰り、白鳥君」 たまたま近くを歩いていた恵がそれに答えた。 「桃乃さん! 梢ちゃんは!?」 「は?」 「だから電話がおかしくて梢ちゃんで何か!」 「あー、とりあえず、梢ちゃんなら晩御飯の用意してるから」 「ありがとうございます!」 風の様に恵の傍を駆け抜ける隆士。 「・・・あれよね、白鳥君の意外な一面?」 梢の不自然な態度に心配して全て放り出して戻ってきた隆士。 それを思いやって、何となく電話に視線をやってみる。 「・・・・・・・・・」 受話器を取って国際のダイヤルまで回したところで、ハッと我に返った。 「な、何やってんだろ。そ、そりゃ戻ってきてくれるか確かめたいけど、それやったら凄い迷惑だろうし・・・」 ため息をついて、受話器を下ろす。 「・・・あー、ちょっと背中押すつもりだったのになぁ・・・」 海の向こうの恋人を思って、そう言いながらもついつい電話と睨めっこしてしまう恵である。 「梢ちゃん!」 「あ・・・」 白鳥さん、といつもなら続くはずの言葉がそこで途切れてしまう。 そして、不自然に赤くなる梢。 隆士はというと、とりあえず無事な梢の姿に安堵の息をついた。 「お、お帰りなさい」 「ただいま。それで、何かあったの? 何だかおかしかったけど」 「い、いえ、何でもないですよ? あはは・・・」 なんと言うか、梢は嘘が下手だ。というか、そもそも嘘を付くような人柄じゃない。 そんな梢が必死で誤魔化そうとしていることに興味を覚えないでもなかったが。 「・・・梢ちゃんが、そう言うなら」 「・・・すみません」 何となく、不自然な気まずい沈黙が落ちる。 会話の種を探そうとして、隆士はコンロに目をやった。 「あ、梢ちゃん、火!」 「え? あ、いけない!」 慌てて火を消そうとして、跳ねた油が梢の手に僅かにかかる。 「あつっ」 「梢ちゃん、大丈夫っ!?」 隆士も思わず駆け寄って、梢の手を取った。 「あ」 「よかった、たいしたこと無いみたいだね」 安心したように笑って、隆士は梢に代わってコンロの火を消した。 そんな隆士を見つめて、 「・・・あの」 「?」 梢は少し俯いて、 「あの、必ず、いつか言いますから。だから、待ってて貰えますか?」 「・・・・・・」 耳まで赤くなって俯いている梢に、つられて隆士まで赤くなる。 それでも、 「・・・うん。わかったよ」 笑顔で、そう応じた。 夜。 ベッドに横になっても、梢は寝付けないままぼんやりとしてしまう。 ――恋人同士なら、やっぱ名前で呼び合わないとねー。 きっかけは、恵のその一言。 頭の中で何度も繰り返すけど、結局一度も口にはできず。 ――無理にやろうとしてギクシャクするのも馬鹿馬鹿しいゼ。 今日慌てて帰って来た隆士を見て、その言葉に納得した。 (・・・でも、いつか呼びたいなぁ) 何となく寝返りを打って、ドアが目に入る。 「・・・」 身を起こし、深呼吸。 「・・・よしっ」 恐らく鳴滝荘の誰も見たことが無いだろう、梢の気合いの入った顔。 いつかなんて言ってたら切りが無いから。そう自分に言い聞かせて。 寝静まった廊下を静かに歩いて、二号室の前に立つ。 もう一度、深呼吸。 「・・・・・・お休みなさい」 顔が火照ってくるのを意識しつつ、恐らく十年単位の気合いを振り絞って。 「・・・隆士さんっ」 そして、その場から逃げるように自分の部屋に駆け込んだ。 「・・・よかった、やっと言えた」 達成感とかそう言ったものに包まれて、でも、結局本人には言えていないことにちょっとだけへこんで。 まあ、そんな、ちょっとだけ梢から踏み出そうとした、鳴滝荘の一日。 おまけ 「しらとりさ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜んっっっ、ど〜こ〜で〜す〜かぁぁぁああああああ!」 怒りに我を失った珠実は、一晩中街中を走り回っていたという。 翌朝隆士が珠実に一発K.Oを食らったのは、まあ、些細なお話。 563 名前: 後書きっぽく [sage] 投稿日: 2005/05/18(水) 05:45:21 ID:/36L+DPw 梢が真っ赤な顔で「隆士さん」って初めて呼ぶ姿が見たいのです。 それだけが妄想の原動力だったのです。 で、なら書いたれー、と。 でも原作じゃどうもまだっぽいし、なら成功させるのもなー、と。 そんなこんなでこんなオチにしましたがちょっとでも楽しんでもらえたら幸いです。 どうでもいいけど黒崎親子出番少なすぎ・・・。 バラさんより少ないってどうなんだろう・・・。