-------- それから -------- 僕の鳴滝荘入居から6年が経った。 元々課題をやる時間を増やすために上京したのだが、結局居ついてしまった。 まあ、この場所が好きだからなのだけど。 この6年間、あまり変わった事は少ない。 桃乃さんの彼氏(紫羽さん)がやってきて入居したりとか、朝美ちゃんが高校を卒業して就職したとか、 珠実ちゃんの初の写真展が開かれたりとか、灰原さんがジョニーなしで話したりとか、 沙夜子さんは相変わらず寝てばかりでいたりとか、 まあ実際色々あったけど、みんな6年前と変わらない暮らしをしている。 まるで、昔からの家族のように。 実際、家族のような付き合いだけど。 この生活が、僕は好きだ。 宴会だけは勘弁だけど。 僕は、専門学校にいた頃に応募したコンクールに入賞したおかげで、 絵本作家としての道を順調に進んでいる。 あまり聞かないが、どうも至る所で僕の絵本が売れているとか。 たくさんの子供達に僕の絵本が読まれるのなら、それは本望だ。 そして、梢ちゃんはというと、今も僕の恋人だ。 いつ見ても、梢ちゃんはほんわかとしている。 それは昔から変わらないようだ。 多重人格の賜物である早紀ちゃん達も相変わらずだが、最近気になることもある。 どうも、他の人格が出る頻度が減っているのだ。 多い時には一日に何度も入れ替わっていたのに、最近は滅多に入れ替わらない。 ショックに対する耐性がついたのか、あるいは――――――― 僕は、そんな梢ちゃんが大好きだ。 出来るなら、これからもずっと側にいたい。 彼女の側で、力になってあげたい。 それは、僕の本心。 そして、僕の願望。 でも、それは果たして叶う夢なのだろうか……………? もしかしたら、終わりがやってくるのだろうか。 いや、その前に、根本的な問題がある。 僕は、彼女を、本当に支えられるのか? いつか珠実ちゃんが言っていた。 「梢ちゃんの病気を治すには、何年掛かるか分からない」と。 治るまで忍耐するだけの覚悟がいるのだ、と。 失う事に耐える覚悟がいるのだ、と。 その言葉は、今でも僕の心の中に重く残っている。 その時は、自分の想いを打ち明けたのだが。 …でも、彼女達が本当に消えるとしたら、 僕はその時、梢ちゃんにどう対面すればいいのか―――― …本当は、そんな結末は考えたくはない。 むしろ、それは有り得ない話だ。 有り得ない話の、筈だ。 実際問題、僕は梢ちゃんなしの生活なんて考えられない。 それだけ、彼女を愛している。 僕の中に、何とも言えない塊が渦巻いていた。 12月のある日。 段々と寒くなる中、この時期にしては珍しく暖かい、晴れた日だった。 その日、鳴滝荘にいたのは、僕と梢ちゃんだけだった。 他のみんなはと言うと、みんな年末に向けた買出しに行ったようだ。 特に黒埼親子は、年末の特売セールに気合を入れていた。 この貧乏性も昔と変わらない。少なくとも収入は増えたと言うのに…(泣 そんなわけで、僕達はお留守番だった。 次に発売する絵本のプロットが大体まとまったので、気分転換に中庭に出てみた。 梢ちゃんがいた。 「あ、白鳥さん」 「こんにちは、梢ちゃん」 私服に箒を手にしている梢ちゃん。 どうやら中庭の掃除をしていたようだ。 「今日は暖かいね…部屋にこもっているのが勿体無いくらいだ」 「あ、お茶淹れてきますね」 「うん、ありがと」 縁側でお茶を頂く。いつもの事だが、梢ちゃんのお茶は格別だ。 「あー…まったり」 「本当ですね…」 本当に、こうしていると気分がいい。仕事の事も忘れられる。 こんなやりとりも、もはや日常の一部だ。 「…………もう5年か」 「はい?」 「僕達が付き合いだして」 「…もう、そんなになりますか」 「うん」 あの告白からもう5年。 なんと言うか…長かったような短かったような。 5年と一口に言っても、実感するのはやはりその短さなのだろうか。 見かけは長くても、実際にはあっという間に時間は過ぎて行った。 傍から見れば、それはつまらない日々の繰り返しかもしれない。 でも…… でも、それが僕にとって、大切な日々だった事には違いない。 勿論、梢ちゃんにとっても… 「…いつまでも、こんな日々が続くのでしょうか…」 「え?」 梢ちゃん? 今、何て――― 「白鳥さんと…皆さんと一緒に過ごす日々が続くのでしょうか…」 「梢ちゃん…?」 「私は、所詮アパートの大家だから… 皆さんがここを出ると言ったら、止める事は出来ません…。 でも、私は…好きな人とは…一緒にいたいんです…いつまでも…」 梢ちゃんの寂しそうな顔。 涙。 いつか、どこかで――― それは、既視感。 僕は―――その顔を、前に見たことがある。 5年前に見せた、切なそうな顔。 僕は―――そんな顔を見たくない。 梢ちゃんの涙を見たくない。 梢ちゃんが悲しいと…僕も悲しくなってしまう。 だから―――梢ちゃんには、悲しい思いは、させたくない。 一生、させたくない。だから――― 「好きな人とは一緒にいたい…でも、それは、私のわがままだって―――」 「―――梢ちゃん!もう言わないでいい!」 「…白鳥さん…」 僕をじっと見つめる、梢ちゃんの瞳。 その瞳は、蒼い。 どこまでも、どこまでも―――深い、蒼。 全てのものを包み込む優しさの蒼が、そこにはあった。 それは、まるで宝石のようで――― だから、彼女を守りたい。 僕の中に渦巻いていたもやもやは、決心に変わった。 「梢ちゃん―――――――結婚、しよう」 「―――白鳥さん―――!」 「結婚して…この、鳴滝荘という<大切な場所>で、いつまでも暮らそう。一緒に」 言った。 伝えた。 僕が、この五年間抱いていた想い。 それを今、梢ちゃんに伝えた。 束の間の静寂。 それは、永遠とも思える長さ。 そして、沈黙は破られる。 「―――はい、こちらこそ…宜しくお願いします」 12月21日。 梢ちゃんの、23回目の誕生日。 僕達は、籍を入れた。 梢ちゃんは―――蒼葉梢から、白鳥梢になった。 結婚したといっても、住居が同じなのだから、変わった点はそれぐらいだった。 僕の部屋は、2号室から管理人室に移ったが。 披露宴は――当然、鳴滝荘で開かれた。 勿論、住人・親族・知人を交えての大宴会となった。 桃乃さんは相変わらず酒盛りを繰り返す。この人も変わらない。彼氏の前だと言うのに… 心配していた珠実ちゃんは、笑って僕達の事を祝福してくれた。 そして、泣いて梢ちゃんを抱きしめた。 梢ちゃんも――また、泣いていた。 今更ながら、二人の友情を感じた瞬間だった。 しかし、変わったことが一つ。 梢ちゃんの―――他の人格が、結婚を境にぴたりと出てこなくなった。 どんなに激しいショックが起きても、梢ちゃんは梢ちゃんであり続けた。 まるで、計ったように。 珠実ちゃんは「病気が治ったんだ」と喜んでいたが… 僕は、手放しには喜べなかった。恐らく、珠実ちゃんも。 乱暴で心優しい彼女。子供の想影が残る彼女。服に凝る彼女。手品が上手い彼女。 彼女達に―――もう、二度と会えない。 僕の心に、まるで大きな穴が出来たようだった。 まだ寒いが、段々と暖かくなってきた2月。 出版社で絵本の打ち合わせをして、僕は自宅である鳴滝荘に帰って来た。 玄関を開けると、そこに梢ちゃんがいた。 「あ―――」 「お帰りなさい、隆士さん!」 どーん、と、ボディアタック。 あまりの不意打ちに真正面で食らってしまい、地面に頭をぶつけてしまった。 「いたた……」 あれ? この感覚。 昔、どこかで… 痛いけど、とても、懐かしい――― 「あ、ごめんなさい隆士さん。大丈夫ですか?」 「うん…ただいま。にしても、今までで一番痛い出迎えだね」 「ええ…なんか、嬉しくなっちゃって」 頬に人差し指を当てる梢ちゃん。 その仕草が、何故か魚子ちゃんに見えた――― まさか―――そんなことが有り得るのだろうか… いや…もしかしたら――― 僕の予感は、当たっていた。 二人で買い物をしていると、可愛い服を見つけては、梢ちゃんは「Correct!」と口走っていた。 子供同士の喧嘩を見かけては、割り入って喧嘩の仲裁をする。 さらには、どこで学んだのか僕にトランプマジックまで披露してくれた。 そう―――彼女達は―――梢ちゃんの中で、生き続けていたのだ。 赤坂早紀。金沢魚子。緑川千百合。紺野棗。 梢ちゃんから生まれた彼女達は―――ちゃんと、梢ちゃんの中にいたのだ。 蒼葉梢―――白鳥梢は、5人で、初めて1人なのだ。 そのことを確信した瞬間、僕は涙を流した。 ああ―――みんながいる、と。 彼女達が、全員揃っている、と。 それは、久々に故郷に帰って来たような感覚だった。 大切な彼女――否、彼女達が、僕の側にいる――― 僕にとって、かけがえのない彼女達が――― 心に空いた穴が、ようやく埋まった瞬間だった。 春がやってきた。 それは、今までと違う、新しい春。 ずっと変わらないけど、毎年毎年、かけがえのない春。 鳴滝荘もまた、変わらない。 今日は、花見を兼ねた宴会だ。 「ちょっと白鳥クーン、急ぎなさいよー。ご馳走が冷めちゃうわよ〜、ヒック」 「おい恵、もう酔っているのか…」 「桃さん早すぎです〜」 「オイ、俺達を待たせる気か?」 「お兄ちゃん早く〜」 「…水ようかん持ってきて…」 「隆士さーん、皆さんお待ちかねですよ〜」 「うん!今すぐ行くよ!」 この6年間、変わらない事実。 それは、みんなが鳴滝荘を愛している、という事。 この古いアパートが、僕達の<大切な場所>である、という事。 それは、これからも、変わらない――― 例えここを出ることになっても、僕達はまたここに集うだろう。 「ごめんくださーい、空き部屋があると聞いてきたんですが〜…」 この物語は、これからも続く。 僕の、家族以上に大切な人達がいる限り――― そして、この鳴滝荘という場所が――― 僕達の<まほらば>が、ある限り。 <>is Happy Happy End... ※5/27 加筆修正しました。 あまり変化していませんが…