-------------- 終わりの始まり -------------- 梅雨も中盤にさしかかったある夜。 隆士は期末課題に手をつけ始めていた。 「…ですよ。隆士さん。」 「うん、分かった。」 からになった夜食の器を手に、梢が白鳥の部屋の前を後にする。 その姿を見送りながら、ふと (…そういえば、あれからもうどれだけ…) 隆士は考えた。 隆士と梢が恋仲になって、すでに幾月か。 梢は恥ずかしいのを押し切って、ようやく下の名前で隆士を呼ぶ事に慣れてきた。 隆士はといえば、珠実の嫉妬と恵の冷やかしに、ひたすら耐える日々。 でも、することは済ませているし、これから先、余程の事がない限り一緒に居るんだろうなとか思える雰囲気になっていた。 と、ここまでは、若く初々しい「一生やってろおめーらw」的な恋人同士である。 だが、隆士はそう気楽にしてもいられなかった。 (…他の「娘」たちはどうなっちゃったんだろう) 隆士は、梢の病を我が身の如く心配している。といっても、梢自身は病の存在をも知り得ない訳だが。 その病が、ここ数ヶ月でやんわりと激変しているのを、隆士はとても気にかけていた。 (早紀ちゃんは1ヶ月、魚子ちゃんは2ヶ月、千百合ちゃんに至ってはもう3ヶ月半も出てきてないってことか…) 他の人格が現れにくくなったのだ。 今までのように、多少のショックを与えられたとしても、人格が変わる事は少なくなった。 本来、梢の身を案じる上で、これは喜ぶべき事なのかもしれない。 ここまでを見ただけでは、「症状の改善」と取っても良いぐらいだ。 でも、隆士は逆に心配の度合いが濃くなっていった。 他の人格に会えない事を、憂いでいる訳ではない…。 数十分経って、 「…隆士くん、いる…、かも?」 隆士の部屋を、誰かがノックする。 「…棗ちゃん?」 隆士がドアーを開けると、そこには棗(梢)の姿があった。 (…まただ)と、隆士は心の中で呟いた。 梢の病は悪化していると取らざるを得なかった。 早紀たちが現れなくなった代わりに、棗がかなり頻繁に現れるようになったのだ。 それも、ショックを与えられることなく突然に、だ。 しかし、棗の元々の性格なのか、鳴滝荘の外ではそういうことはあまり無い。 その分、鳴滝荘の中では、むしろ棗の人格で居る方が、多いような気もする。 先日などは、鳴滝荘の玄関を閉めた瞬間に、棗の人格に変わってしまうということもあった。 それくらい、梢の病は急変しているのである。 「棗ちゃん、どうしたの?」 隆士は、できるだけいつもの笑顔を見せた。 「(ぽんっ)…なんでもない…、かも……」 一本だけ花を咲かせて、棗はうつむいた。 「…中、入る?」 「うん…。」 棗は、少しだけ顔をあげて、頷いた。 棗を部屋の中に招き入れる。ほんのりと梅の香りがした。 部屋に入ってもうつむき加減のままでいる棗が、 「棗ちゃん?どうかした?」 「…」 「黙ってちゃ分かんないよ…。ね、どうしたの?」 「うん…」 棗は少しづつ話し始めた。 「あのね。…。また、変な夢みたの。男の人と女の人が、喧嘩をする夢。それを見てると、何だか悲しくなるの…」 「…いつも見る夢?」 「うん…」 棗の顔が、どんどん下を向いて行く。 「…大丈夫?」 「だ……じょう……う…、か……」(大丈夫、かも…) 言っている事とは裏腹に、棗は下降状態にある。 「でも…、ね。なんか、見てると、悲しくなるし…、なんか、「ごめんなさい」って…、気持ちになるの…。」 今にも棗は泣き出しそうな顔をしていた。そんな顔を、隆士に見せまいと、棗は顔を背けた。 だから隆士は、棗にいつもしてあげてる事をした。後ろから、身体を左手で抱きしめ、右手で頭を撫でてやる。 「はぅ…、隆士…くん…」 「こうして欲しいんでしょ?ね?」 「…隆士くん…(ほう」 棗はほっとしたのか、頭を隆士に預けた。 「隆士くん…」 「なに?」 「しばらく…、こうしてて…、良い…かも?」 「いいよ」 「……………(ほう」 病状が悪化しているのだとしても、棗が頻繁に現れる事自体を、隆士は悪く思ってはいない。 棗が頻繁に現れてくれる事で、棗とのコミュニケーションの取り方も分かってきた。 棗も隆士を恋人ととして受け入れる事ができた。正面向いて話す事に支障もなくなり、棗自身、隆士を信頼している。 隆士に対してなら、会話する事も苦ではなくなり、少しづつではあるが、すらすらと話すようになった。 肌と肌が触れあう事も許容できるようになり、実際に棗の状態で何度か肌を重ねてもいる。 でも、隆士には気になる事があった。 棗の人格が現れるたび、棗は決まって「いつもの夢」の話をする。それを話す棗は、何だか今にも折れてしまいそうな感じなのだった。 その夢が一体何を意味するのか、どんな意味を持つのか、隆士には分からないし、棗は他の誰にもこの事を話していないため、他の住人に相談する事も躊躇われる。 隆士は、一人で悩んでいる状態だった。