-------------- 夢から醒めた夜 -------------- 今日も天気がいい。 こんな日は、一日中いい事が起こるんだと思う… 私は、そんな事を考えていた。 いつもの帰り道。 「梢ちゃ〜ん、さっさと帰って一緒に遊ぶです〜」 「うん、そうだね」 珠実ちゃんと一緒の帰り道。 今日は特にする事も無いから、一緒に帰って遊ぶのもいいかもしれない。 「今日は何して遊ぶです〜?」 「うーん…ブラックジャック、七並べ、ポーカーなんてのもいいかな。  でも何をやっても珠実ちゃんが勝っちゃうんだよね…」 「カードの巡り合わせがいいだけです〜」 「もう、そんな事言…って…」 言葉に詰まる。 「?どうしたです〜?」 私は、見てはいけないものを見たのかもしれない。 直感が、そう思わせた。 霊柩車が、走っていた。 葬儀が済んだのだろう、一台だけ、場違いなように走り去っていく。 この都会には、あまりにも場違い過ぎる。 私は…それに釘付けになっていた。 忘れていた記憶が戻ってくる。 思い出したくない、忌々しい記憶。 むしろ、それは禁忌なのかもしれない。 「…梢ちゃん!」 「え…?」 振り返ると、珠実ちゃんが心配そうに私の顔を見ていた。 「どうしたですか〜、青ざめてますよ〜?」 「う…うん、大丈夫だから」 「本当ですか〜?どこか具合が悪いですか〜?」 「全然、大丈夫だから…」 「兎にも角にも、さっさと帰るです〜」 大丈夫。 私は、大丈夫。 思い出したように思えたのも、きっと、気のせい―――― 同時刻。 「白鳥、おまえはどう思うんだ?」 「え…何が?」 「だから、愛とは何かって訊いてんだ」 皇デザイン専門学校。 今日の講義も終わり、片付けをしているところに、 エロールこと翼くんがやってきた。 「白鳥、お前にとっての愛って何だよ」 「んな…」 あまり考えた事が無い。 梢ちゃんと付き合っている身とはいえ、本格的に「愛」を考えたことなんて そんなになかったからな… 自分にとっての「愛」。 それは一体、何であるか。 「そんな哲学みたいな事は考えなかったからな…急に言われても…」 「そんな事を言うなよ、俺とお前の仲だろ?」 「まあ…そうだけど…」 その前に「俺とお前の仲」って何? いや、それはどうでもいい。 「そうだね…強いて言うなら、互いが互いを必要としている、って感じかな?」 「そいつは穿ち過ぎだな、白鳥」 「じゃあ君にとっての愛って何だよ」 「それは、太陽だ」 彼にしては珍しく詩的な事を言う。 「…太陽?」 「そうだ、太陽だ。太陽は誰彼差別することなく照らすだろう?  愛とは、須らく誰にも向けられるべきなんだよ」 「キリストみたいな事を言うね…」 「俺は、麗子さんに振られた事で、愛とは何かを感じたんだ。  俺が次に誰かを好きになったなら、その人を照らすような人になろう、と。  彼女が苦しむときはその苦しみを背負い、幸せなときはそれを祝福できる、  そんな男になろうと決めたんだ」 ―――普段はエロい事しか考えない彼の言葉が、妙に、僕の心に重くのしかかった――― 「君にしては立派な事を言うね」 「失恋が俺を成長させたんだ」 マジっすか。 そういうものだろうか。 そして、僕は奇妙な感覚に襲われた。 嫌な事が起こる予感――― あるいは、直感。 梢ちゃんに、何かが起こっているような、そんな感覚。 「…梢ちゃん…」 「あ?何か言った?」 「いや、なんでもない…」 多分、気のせいだ。 僕は、いつものように、疑惑を水に流した。 結局、僕にも梢ちゃんにも、さらにはみんなにも、目に見えた不幸は無かった。 明日は土曜。基本的に休み。 課題を今晩中に終わらせて、週末はゆっくり過ごすとしよう…   ◇ 私は―――鳴滝荘に、いる。 でも、いつもの鳴滝荘ではない。 12年前、曽祖父の葬儀を行っている。 あの頃の、鳴滝荘が、ある。 あの時―――まだ小さかった私は、冷たくなった曽祖父の体を前にして、 ただ―――泣くことしか出来なかった。 昨日まで、いつものように面白いお話を聞かせてくれたひいおじいさん。 大好きだった、ひいおじいさんが。 どうして。 どうして、寝ているの―――? どうして、わたしに話しかけてくれないの―――? まだ何も分からなかった私は、泣いていた。 これが、死。 これが、永遠の別れ。 大好きな人と二度と会えない。 子供心に、それが重くのしかかった。 大好きなのに―――どうして、消えていくの―――? その質問に、大人は誰も答えてくれなかった。 それからの私は、私ではなかったような気がする。 その頃から、気付いたら知らない場所にいることが多くなった。 さっきまで何をしていたかも思い出せない。 気付いたら、分からなくなっていた。 わたしは何をしていたのか。 思い出せない。 怖い。 その恐怖に怯えていた私を救ってくれたのが、お母さんであり、あのお兄ちゃんだった。 お母さんは、黙って私を抱きしめてくれて。 お兄ちゃんは、心温まる絵を私に描いてくれた。 それだけで、私は救われた。 記憶の思い違いも、気にならなくなった。 中学生の時から、私はひいおじいさんが残してくれたアパートで暮らすことにした。 ひいおじいさんの思い出の場所――― 私はそれだけで、近くにひいおじいさんがいるような気がした。 大好きな家族と、住人達と一緒に過ごす生活。 しかし、それも長くは続かなかった。 3年前。 両親が死んだ。 事故死だった。 両親の亡骸は―――あまりにも、無残だった――― 私は、泣いた。 どうして―――どうして、私をおいていくの―――? ひいおじいさんも、お父さんも、お母さんも、どうして私を残していくの―――? 大好きなのに―――なぜ、消えていくの? 私を―――独りぼっちにしないで。 大好きだから―――私の側にいて。 一人は嫌だ。 嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ―――――――― 「―――――嫌ぁ!!!!!」 私は、飛び起きた。 真っ暗な部屋。 私の部屋。 誰も―――誰も、いない。 指を目元に当ててみる。 涙が流れていた――――― 時計は、午前一時を過ぎたところだった。 「―――よし、完成、と」 ようやく課題が終わった。 これで自由に週末を過ごせる。 しばらく銀先生の折檻ともおさらばできそうだ。 時刻は午前一時。 小腹が減った。 「―――でも、梢ちゃんを起こすわけにはいかないか」 炊事場に行けば、確かカップラーメンぐらいあったはずだ。 僕は、静かにドアを開けた。 軽く夜食を済ませ、さっさと寝ることにしようと自室に戻る。 否。 正確には、途中で止まってしまった。 「―――梢ちゃん?」 縁側に座っているのは―――紛れも無く、梢ちゃんだ。 寝巻き姿で、一人座っている。 でも、様子がおかしい。 少なくとも、夜風にあたっているわけではなさそうだ。 梢ちゃんは、ぼぅっと、宙を見ているような感じだった。 考え事をしているのか。 彼女の顔は―――いつか見せた、切なそうな顔ではない。 いつになく―――儚く、見えた。 彼女が、普段ならまず見せることのない顔。 そのまま、風に押されて崩れてしまいそうなくらいに、脆かった。 昼、珠実ちゃんに言われた。 「梢ちゃん、何か変だったんですよ〜」 「何かって…何が?」 「だから、何かですよ〜。何か、様子が変なんですよ〜。  白鳥さん、梢ちゃんに変なコトしてないでしょうね…?」 「ま、まさか…」 今日、何かあったのだろうか… 昼に感じた疑惑が甦る。 普通じゃない様子に、僕は声を掛けずにはいられなかった。 梢ちゃんの隣に座る。 「梢ちゃん、どうしたの?」 「……………」 梢ちゃんは答えない。 「…梢ちゃん?」 「……………」 梢ちゃんは答えない。 むしろ、我ここに在らず、という感じだ。 「…梢ちゃんってば!」 「…あっ……白鳥…さん…」 ようやく、梢ちゃんは気付いてくれた。 「大丈夫?すごく思い詰めたような顔をしてたよ…」 「いえ…大丈夫です…」 「大丈夫なんかじゃないよ…何があったの?」 「全然…大丈夫ですから…」 「梢ちゃん…何があったか、話してよ…他の誰にも言わないから…」 「…白鳥さん…」 しばしの沈黙。 まるで、時が止まったかのように思えた。 そして、梢ちゃんは、僕に抱きついた。 「…梢ちゃん?」 「私…夢を見たんです。ひいおじいさんと、両親が亡くなる夢…  大事な人が、次々に亡くなっていく夢です…  私は…そのことを、必死に思い出さずにいました…  そうしないと、悲しくなってくるから…」 梢ちゃんは、涙ぐみながら語る。 僕は―――何も、言わない。 ただ、梢ちゃんの話を真剣に聞く。 「でも…今日は、それが出来ませんでした。霊柩車を、見たから…  どうしても、どう頑張っても、あの人達の顔が、思い浮かんできて…  夢にも、出てきたんです。私は、思い出したくないのに…」 風が止んだ。 聞こえる音は、何も無い。 「私は…ひいおじいさんも、お父さんも、お母さんも、みんな大好きでした。  私のことを大切にしてくれて、私を支えてくれた―――  それなのに、みんな、私の前から、消えて行ったんです。  それは、私だって…人は皆、いつか死ぬのは、解ってます。  でも―――私は、小さかった私は、まだそれが理解できていなかった。  どうして、私の前から消えていくの…?  その疑問に、誰も答えてはくれなかったから…」 これは―――梢ちゃんの、告白。 今まで、一人で背負ってきたものを、僕に、打ち明けている。 「私は…一人ぼっちに、なってしまったんです。  喜びも、悲しみも、苦労も、孤独も、全てを一人で背負わなくてはいけなかったんです。  それでも、私は―――ここまでやってこれたんです。  ここが、ひいおじいさんの、思い出の場所だったから―――  でも…もう、一人は嫌です。  一人でいるのは…一人で、思い出を抱えるのは…もう、嫌なんです」 ああ―――なるほど。 それが、理由か。 梢ちゃんが、いつ治るとも分からない病気になってしまった理由。 そして、大切な人達といることに固執する理由。 彼女が抱えてきた苦労は―――それこそ、筆舌に尽くし難いはずだ。 僕に打ち明けてきた以上のことを―――梢ちゃんは、抱えているのだ。 それが、どれだけ重いかは計り知れない。 …でも。 彼女は、そんなことをする必要はない。 彼女が、一人で苦労を抱えることは… もう、させない。 「梢ちゃん―――よく、話してくれたね。  これまで―――よく、一人で、頑張ってたんだね。  でも―――もう、そんな事をする必要は無いんだよ。  僕が、それをさせない。  梢ちゃん―――辛い事や、悲しい事があったら、僕に話してよ―――  もう、一人で抱えなくてもいいんだよ…」 「白鳥さん…」 「僕だけじゃない。みんながいる。  みんな、梢ちゃんのことを心配しているんだよ。  だから、一人で悩まなくても、いいんだよ」 草木も眠る丑の刻。 聞こえるのは、僕達二人の、声。 生きている証。 「それに―――泣きたい時は、泣いてもいいんだよ。  涙を流してはいけないなんて、そんな事は誰も決めてないし、  自分が悲しい時は、泣くのが一番なんだよ」 「…白鳥さん―――」 嗚咽。 そして、号泣。 真夜中の空に、梢ちゃんの泣く声だけが響く――― 昼間の翼くんの言葉が思い出される。 「俺が次に誰かを好きになったなら、その人を照らすような人になろう―――」 僕は、その意味を、理解した。 そして、同時に、覚悟した。 「梢ちゃん―――僕が、君の太陽になってあげる。  そして、君が悲しくならないように、いつでも照らしてあげるから―――」 それは、梢ちゃんを苦しめていた記憶の呪縛が解けた――― 夢が、悪夢が、醒めた瞬間だった。 満月が、僕達を照らしていた。 寒くて、静かな夜だった。   ◇ そこには―――誰も、いなかった。 そこにいたのは―――僕と、見知らぬ老人だけ。 老人は言った。 私は、君を知っている、と。 僕を―――知っている―――? 老人はさらに言った。 君だけではない、梢ちゃんだって知っている、と。 僕は問うた。 あなたは、誰なんですか、と。 老人は答えた。 君達の―――身近にいる人だよ、と。 僕は、それが解らなかった。 少なくとも、心当たりが無かった。 老人は言った。 君は、梢ちゃんを幸せに出来るのか、と。 僕は答えた。 今は自信は無いけど―――必ず、幸せにしてみせる、と。 梢ちゃんの笑顔を、絶やさないようにする、と。 僕の答えに、老人は満足したようだった。 そして、老人は言った。 では、頼んだよ―――梢ちゃんを、幸せにしてあげるんだよ――― 「…………ん」 目を覚ます。 どうやら、夢を見ていたようだ。 それも、不思議な夢を―――― 夢の中の言葉を噛みしめる。 梢ちゃんを、幸せに――― しばらく、ベッドの上で考えていた。 …ん? ―――ベッドの上―――? 辺りを見回す。 家具類は、僕の部屋のそれではない。 何度か、見覚えのある部屋。 そして、横を見る。 そこには、僕の恋人がいた。 どうやら、一緒に梢ちゃんの部屋で寝ていたようだ。 あの後――― 梢ちゃんの告白の後が定かではない。 一体、何をしていたのか。 …まあ、今は考える必要は無い。 彼女が、これまで以上に、僕に近くなったのだから――― 初めて見る梢ちゃんの寝顔は、幸せそうだった。 彼女には―――幸せであって欲しい。 僕は、梢ちゃんの頭を撫でながら、そう思った。 そろそろ起きなくてはいけないか。 僕はどう起こすか、しばし考えた結果――― キスをして起こすことにした。 「―――あ」 「おはよう、梢ちゃん」 「おはようございます、白鳥さん」 彼女の―――最高の笑みが、そこにはあった。 僕は、彼女を抱きしめた。 「――白鳥さん――」 「しばらく、こうしていようよ」 言われて、梢ちゃんも僕に抱きつく。 幸せを感じる瞬間。 このまま、時が止まって欲しいと思った。 「―――さて、そろそろ起きなくちゃ」 「そうですね―――あ、朝ごはんの支度をしなくちゃ。先に行ってますね」 梢ちゃんは、着替えて部屋を出て行った。 僕は―――部屋に、残される。 さて、と。 やらなくてはならない事がある。 僕は、仏壇に向かう。 今更なのだが、梢ちゃんのひいおじいさんという事は、 僕のひいおじいさんでもあるのだ。 すっかり、失念していた。 線香に火を付ける。 独特の香りが、部屋に広がる。 「僕は―――梢ちゃんを、幸せにしますよ、ひいおじいさん」 幸せにな――― 遺影が、そう言ったような気がした。 僕も、部屋を出る。 新しい一日が、始まっている。 それは、新しい関係の、始まりでもある。   ◇ そこには、僕と老人の、二人だけがいた。 僕の名は白鳥隆士で――― その老人の名は、蒼葉総一郎と言う。 <>is released. 915 名前: 夢から醒めた夜(アトガキ) [sage] 投稿日: 2005/05/29(日) 00:06:19 ID:Y632cOJr 「それから」に続く、二作目は終了です。 途轍もなく、しんみりした話になりました。 結構、枠組みはサクサク進みました。 ただ、総一郎氏と両親の扱いには悩みました。 原作とアニメで設定が違うもので… ここでは、アニメ版の設定(総一郎氏は曽祖父、梢の両親は三年前に死亡)で書きました。 長々と書いたので、まあ色々あるやも知れませんが、 楽しんでいただけたら、幸いです。 あと、「キオク」と「Who were〜」の作者、乙・GJです。 追伸― 14と15の間に、二人の初夜を入れる事が(一応)出来ますが、 力不足で出来ませんでした。 脳内補完するか、神職人の執筆までお待ちください。 むしろ、書いてくれる人うpしてください。 保管庫を見ても、二人の初夜が無かったもので、つい―――― 暴走スマソ